京都で寺カフェ

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京都で寺カフェ』(早川茉莉+すみれ図書室 / 大和書房)。本の題名をみて膝を打ちました。ものの見方をスライドさせて、ただしい名前を与える鋭いセンスにです。飽和状態にあるといっていい京都本のジャンルの中でも、「お寺」と「カフェ」は揺るがぬツインタワー。といって交わることのなかった二つの言葉を、相生木のようにくっつけてしまいました。

もちろん、街に偏在するカフェは登場せず、京都にある有名無名のお寺が本書の主役です。一般客向けに堂内が解放されている寺院では、拝観順路の最後か途中に、たいてい足休めのためのお茶席が設けられています。格式張ったものではなく、係の人へ声をかければ、ほどなくお抹茶と受け菓子をそっと毛氈の上に置いてくれます。お代は、街の喫茶店で一服するのと変わりません。

多くの場合、そこはお庭に面しています。開け放たれた戸から、すがすがしい自然光が控えめに差し込み、新緑の季節には滴るような青葉が、また紅葉の時期であれば心に染む錦の彩りが目を楽しませてくれるでしょう。混雑していなければなおさら、閑とした空間でゆとりある特別なひとときを過ごすことができるはず。

本書は、そういったスペースの設けられた京都および近郊の寺院を30あまり紹介しています。早川さんならではの、文芸作品へのロマンチックな連想の飛躍も読みどころ。アクセスや各寺院の見どころなどデータも充実しています。

読者としては、掲載された場所を実際に訪ね歩くのはもちろん楽しいですが、できればそこに落ち着くのではなく、著者の視点や遊び方を感得したいもの。そうすれば、読者それぞれの街にあって見過ごしてきたお寺が新鮮な光りを放つことと思います。願わくば、行きつけの喫茶店のように、自分だけが知るとっておきの寺カフェを。

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現在、店頭では著者の早川茉莉さんが展示して下さった特集コーナーを設けています。写真の通り、壁一面に本書所収の寺院でいただいたという御朱印のコピーがずらり。

また、早川さんが取材の際に携帯された御朱印帳の原本も設置いただいております。同じ寺院であっても、そのときどきで担当の僧侶が違えば印の形は変わり、再訪の折にわざわざ異なるバリエーションのものをいただけるお寺もあるのだそう。

期間中、当店にて本書をお買い上げのお客様へ、すみれ図書室特製「缶バッジ+ミニ手帳」の特典をプレゼントしています。数に限りがございますので、お求めの方はどうぞお早めに。

(保田)

熱闘! 日本美術史

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年始からこのかた、とんでもなく奇天烈な本を眺めていました。世界の舞台で活躍する美術作家・村上隆さんと、近世絵画に新しい文脈を探った美術史家・辻惟雄さんの共著『熱闘(バトルロイヤル)! 日本美術史』(新潮社)です。

もともとは「芸術新潮」誌上にて連載されていたこの企画。「熱闘」のいわれは両者による、美術を介した丁々発止の美学談義、芸術論の応酬合戦。これを通して日本美術史上の異能、珍品ことごとくを現代アートの地平にのせ、新たな視点と意味づけを模索する一冊です。

驚くべきはそのやり方。『奇想の系譜』で知られる辻先生が、毎回お題を掲げて挑戦状を叩きつけ、奮発した村上氏が自身の作品をもって即応酬、それにまた辻先生が批評を加えるという往復書簡の体裁をとっています。たとえば辻先生が北斎春画を取り上げれば、これを換骨奪胎した絵を村上氏が制作し、作品を見た先生が「暗い」と酷評、「絵難房(どんな絵にも難癖をつける人)」と作家が口をとんがらせば、次のお題が絵難房になる・・・といった具合。テーマもファリシズム(性器崇拝)から赤塚不二夫まで、脈絡の読めなさが魅力に転じています。

しかし、いかんせん論評と美術作品との一騎打ち。土俵の次元が違いすぎます。畳み掛けるような先生の難題に、回を重ねるごと追いつめられていく美術作家。月刊誌での連載で、不眠不休の度を超したペースにもかかわらず、制作が追いつかない。果ては村上氏自身の会社の経営までがぐらつきはじめ、いよいよ闘いは泥沼の相を呈することに。

読者を不安にさせるハラハラの展開で、ついに逆さ磔の架に縛られた村上氏の苦悶の表情を臨むにつけ、我々ははたと気づくはず。そもそも彼らはどうして争っているのか。ここに常識外れの美の探求と、芸術への尽きせぬ愛、信頼を見る読者は本物です。

熱闘の顛末は本書にある通りですが、これが「とんぼの本」として刊行されたのもまた驚き。手によくなじむ版型に満載のビジュアル、読み物としても充実した新潮社の定番入門書シリーズ。数あるタイトルの中で、これほどとがった一冊も珍しいのではないでしょうか。

とんぼの本を調べるのに新潮社のホームページを閲覧していたところ、本書でも取り上げられている村上春樹さんの期間限定サイトのお知らせを見つけました。オープンは本日15日より。村上違いではありますが、ご興味のある方はぜひチェックしてみて下さい。

 

(保田)

朝のはじまり

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京都生まれ、奈良在住の詩人、西尾勝彦さんが2010年に刊行された作品集『朝のはじまり』(Booklore)。しばらく完売状態だったこちらが、このたび重版となり、当店も再び入荷いたしました。

ガケ書房の山下賢二さんや羊草の森文香さんらが参加し、年一回ひっそりと発行される雑誌「八月の水」の編集人でもある西尾さん。奈良公園の森のそばに居を構えられ、猫と散歩とお酒への尽きない愛が素敵なお人柄です。

ケータイを持たず、外出はいつも手ぶら。「のほほん」を生き方の軸に据え(『のほほんのほん』という小冊子も作っていらっしゃいます)、言葉ほどやさしくはないであろうその姿勢を生活の中で静かに追求しておられます。

草花や昆虫、水たまりなど地上数センチに生息するものたちへの関心と、やさしい目なざし、それらと一緒になって地へ横たわる眼に映るのは、高い空と風の機嫌と時の移り変わり。そこで初めて人の営みの、かすかで強かなざわめきが聴こえてくるのだと思います。

感触しようと手を伸ばすほど、開いた指から逃げるもの。目的地を定めて歩くことに馴れた人が通ることのない、たしかに気まぐれでおおらかな詩人の足取りです。

この詩集の最後に収められた「遅い言葉」という一篇。「詩は遅い言葉だと思う」と始まり、「読む人に届くまで/時間のかかる言葉」と続いていきます。だからけっして詩の言葉は、忙しなくすばしこいメディアへ乗ることがない。私がここでいくつ言葉を重ねようと、作品のもつすがすがしさや、悲しみや、のびのびしたこころよさは伝わりません。

ただ、次の一節「詩集は/遅さの価値を知る特別な本屋の棚に/ひっそりと眠っている」ここでどれだけ励まされることでしょう。当店がそんな本屋のひとつでありますようにと、行き先を見据え、業務をこなす活力を与えられるというものです。

つい先だって、嬉しいお知らせが届きました。来月18日(日)に開催いたします「恵文社 文芸部」へ、西尾さんがご参加くださることになりました。今年の春にスタートしたこのイベントも、季節が一巡りし4回目を数えます。これまでにご出店いただいたサークルさまの新作に加え、今回はじめてご応募いただく方も多く、お正月らしいフレッシュな顔ぶれでお客さまをお迎えできそうです。

それでは、当通信をお読みいただいている皆さま、穏やかに晴ればれと新年を迎えられますよう。

(保田)

理不尽な進化

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12月上旬に神保町に出かけた際、東京堂書店の新刊コーナーで目に入ったのが本書『理不尽な進化』であった(上階には特集コーナーもあった)。当店でも取り扱いはあるのだが、並ぶ場所が違うと全く違う本のように思えるから不思議である。鈴木成一デザイン室によるシンプルな装丁に惹かれたこともあるが、タイトルの「理不尽」と「進化」のミスマッチに違和感を覚えたことが大きい。

本書は一見進化論の入門書に見えるがそうではなく、研究者ではない私たち(筆者含む)素人が理解している進化論について理解しようと試みる。と言われてもピンとこないかもしれないが、よくよく街を眺めてみると実は私たちの身の周りには進化論的概念を元にした言葉があふれていることに気づく。小さな会社の「生存戦略」、社会に「適応」できない若者達、などなど例を挙げればキリがない。本屋で働きながら日々耳に入ってくるのが、リアル書店が「生き残る」には、とか「死なない」町の本屋といった言葉たち(どうやら私の職場は絶滅危惧種らしい)。もっと個人的な話題としては「リア充」「婚活」といった言葉も、いかに環境に適応していくかという点では進化論的概念を基にしている。生きるか死ぬかのサバイバルゲーム。著者が指摘するように、どうやら私たちはそんな「進化論が大好き」らしい。

しかし本書はそういった私たちの日常の感覚、いわばサクセスストーリーにだけ着目する進化論とは違って、地球上にかつて存在しそして絶滅してしまった99.9パーセントの生物種の敗北の歴史から、生物学の進化論と私たちの進化論(社会進化論)の理解に迫る。

あまりに内容が多岐にわたるのでここで内容を要約することが難しいが、本書の面白さはやはり私たちが何故進化論を正しく理解できないのか、そして何故進化論に魅了され安易に日常世界に還元してしまうのか、その原因についてあれこれ思索することではないだろうか。「一般的には◯◯と思われているが、正しくは△△である」というような解説書はたくさんあるけれども、何故私たちが間違って理解してしまうのか、そこに重要な論点が含まれているのではないかという着眼点が著者特有で興味深い。

結局最初に惹かれた『理不尽な進化』についてはいわばつかみの部分の話。餌につられてまんまと引っかかってしまった感じは悔しいが、その後に繰り広げられた思いもよらない展開にすっかりはまっている自分がいることに気づく。(ちなみに進化の理不尽さについての話(主に第一章)それ自体も、裏切ることなく面白いのでご心配なく。)

生物学の話なんて学生以来ご縁がない、という方も大丈夫。著者がそっと私たちに寄り添って…とよりは肩を抱いて一緒に歩んでくれるので心配ご無用。本筋から度々逸れるがそこに垣間見える著者のユーモアたっぷりの表現や博学ぶりも必見。読了後はお腹いっぱい、というよりはむしろリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』やダーウィンの『種の起源』といった古典の名作に思わず挑戦してみたくなる(読める気がしてくる)、知的好奇心を掻き立てる一冊であった。

 

(冨永)