アラン・マンジェル氏のスキゾな冒険

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今年私がであって強烈な印象を受けたのが、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の映画作品群。最新作『リアリティのダンス』をはじめ、その日本公開に併せて夏にみなみ会館で企画された『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『サンタ・サングレ』の3本立て上映は、それ自体のインパクトは言うに及ばず、私のオールナイトデビューでもあって忘れがたい体験となりました。

この翌日には眠い目をこすりつつ、大阪・天六の古本喫茶「ワイルドバンチ」で月1回開催される「ミルクマン斉藤の日曜日には鼠を殺せ」(映画評論家のミルクマン斉藤さんが、毎回テーマを決めて3時間強に渡り映画を語り尽くす会)のホドロフスキー特集へ参加、続けざま狂気とナンセンスの苛烈な洗礼を受け、失神寸前の有り様でした。

今回ご紹介する長編コミック『アラン・マンジェル氏のスキゾな冒険』(パイインターナショナル)は、原作をホドロフスキーが、作画をメビウスが担当した3部仕立てのバンドデシネです。原書版は1992年に第1巻、翌年に第2巻が刊行され、98年に第3巻が出て完結しました。およそ20年越しとなるこのたび待望の日本語版は、3巻本を1冊にまとめたお得な読み切り仕様。がっちりしたハードカバーの愛蔵版で、読み応えたっぷりのボリュームです。

ホドロフスキーメビウスのタッグとしては、バンドデシネの古典的名作『猫の目』『アンカル』に引き続いて3作目、最後の共作となったようです。内容はパリと南米を股にかけた破天荒な冒険活劇。タイトルにある通り、分裂症を抱えた哲学教授マンジェルが、聖書にある洗礼者ヨハネの母エリザベツの化身だという女子学生に導かれ、人生を狂わせてゆくストーリーです。

ハイライトは、フッサールハイデッガーを専門とするマンジェル氏の鉄壁の実存主義と、キリスト教神秘主義との対決。物語の終盤、原作者の分身といえる主人公は、密林に住む女祈祷師のもとで笑えるような奇跡を授かるのですが、これはホドロフスキー自身のメキシコでの体験がもとになっているそう。彼ならばとうなずけるような、それにしても空恐ろしい展開です。

また、この奇天烈なシナリオを見事にエンタメへ昇華したメビウスの手腕には頭が下がります。2巻から3巻にかけての5年間で、コマ割りなど日本の漫画を消化し我がものとした手法の変遷も見どころ。本書は、店頭「ガイマン賞2014」との連動フェア台にて販売中。その他海外マンガの活きの良いタイトルを多数取り揃えております。この機会にぜひお手に取ってお楽しみください。

(保田)

オリーブのお勉強

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来週18日(木)、当店コテージにて開催いたします、山崎まどかさん×多屋澄礼さんのトークイベントの予習にと、山崎さんの著書『オリーブ少女ライフ』(河出書房新社)を読みました。平成生まれの私にとって、雑誌「オリーブ」とその年代のおしゃれをとりまく文化は、いまひとつピンとこないのが正直なところ。

周囲の同世代を見回してみて、現役の「ポパイ」や「ブルータス」、「クウネル」や「装苑」を手に取るのも、表紙のグラビアや特集内容によりけりといったありさま。漫画誌を別にして、習慣として雑誌にあまり触れることのない今のティーンズ及び20代はじめの若者たちにとって、休刊して長いファッション誌は縁遠い存在なのです。

だからなのか、私が古書店でくたびれたオリーブを開くとき、きまってまず抱く印象が戸惑いです。おしゃれに敏感な人ならばスナップを眺めて感じるところもあるのでしょうが、記事内容にまで踏み込んでいくとちんぷんかんぷん。慣れない言い回しや知らない単語の多さに尻込みしてしまいます。

連想されるのが、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』。時代も合致しているせいでしょうが、「DCブランド」「リセエンヌ」など、あとでネットで調べようと名詞をリストアップしていく作業が、どうも巻末のあの膨大な注釈を思いださせるのです。新作の『33年後の~』はさておき、高校生のとき読んだ「もとクリ」も、当時とても理解の及ばない作品でした。

田中康夫に限らず、文学作品の注釈には限界があります。読み手にとっての限界という意味で、辞書的な語釈をいくら取り入れたところで、有機的なつながりのないところに立体的な文脈は立ち上がりません。深い理解へ達するためには、その分野について精確な脳内地図をもつ人の解説を受けるか、かのときかの場にいた人の話を聞くのが一番です。

オリーブとともに青春を送り、その全盛期に愛読者であっただけでなく、紙面作りにも参加したという山崎さん。かつての連載記事「東京プリンセス」と、当時をふりかえった書き下ろし小説の二本立てからなる本書を通読すれば、雑誌を取り巻いていた雰囲気が霧の晴れるように覗けます。まして、同時代にこれだけ深くコミットした人の証言を直接聞けるというのは格別の体験。

かつての愛読者はもちろん、彼女らの娘世代にあたる若者たちもふるってご来場を。親子で揃って参加、なんていう趣向も楽しいのではないでしょうか。イベント当日に向けて私はいま、本書とほぼ同時期に発売された講談社現代新書『オリーブの罠』(酒井順子著)をコツコツ読み進めています。

(保田)

肝をゆるめる身体作法

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先日、紀伊国屋書店が主催する、内田樹さんの講演会へ参加しました。今年4冊目となる単著での新刊『街場の戦争論』(ミシマ社)刊行記念のイベントでしたが、ちょうど衆院解散が決定した時期と重なったこともあり、日本の行く末についてホットで含蓄あるご高見を伺う貴重な機会となりました。そのレポートは別の機会に譲るとして、今回は内田先生がオビ文を寄せておられる『肝をゆるめる身体作法』(安田登 / 実業之日本社)をご紹介いたします。

安田登さんといえば、ちょうど去年の暮れも暮れ、当店コテージにて建築家の光嶋裕介さんとの対談にご出演いただきました。能楽師として、また公認ロルファーとして活躍される安田さん(ロルファーは、米国のボディワーク・ロルフィングの施術師)。数多い著作の中で、より実践的な性格が強いこの新刊は、簡単なエクササイズを通して肝をほぐし、心身をゆるやかにコントロールする方法を学ぶことができます。やさしい言葉遣いで、わかりやすく読者へ説き聞かせてくれるのは彼の他の著書と変わりません。

さて、安田さんのいう「肝」とは何でしょう。肝はどこにあるだろうと考えて、なんとなく下腹の辺りをさすってみるものの、いまひとつ確信が持てません。でもそれが正解、肝とは内蔵のことだそうです。では「心」はどこでしょう。心臓でしょうか、それとも頭蓋の中でしょうか。安田さんは心の定位置を肝、すなわち内蔵へ落とすことで不安や悩みを昇華させられるといいます。怒りなどの「頭にくる」激しい感情を、いったん「腹へ収める」。そうすれば肝が据わって、些細なことには動じなくなる。

肝が据わるというのは、言い換えれば、内蔵の感覚を意識することだといいます。しかし、内蔵を示せといわれてその位置があいまいであるように、ふつう私たちはそれを感覚したり意識したりすることがあまりありません。そこをうまく導いてくれるのが、能の所作とロルフィングのテクニックを取り混ぜた、著者一流のエクササイズというわけです。

楽で美しい立ち方、ただしく疲れにくい正座、緊張を軽減する呼吸法などが紹介され、図解入りで一目瞭然。意識を自然に肝へ持っていくための練習、ということですが、日常生活をスマートに過ごすのにぜひ身につけたい姿勢の数々でもあります。そして特筆したいのが、これら練習を説明するのに用いる安田さんの絶妙な言い回しです。

繊細な身体動作を文字だけで表現するのは非常にむずかしい作業です。しかし的を得た「たとえ」がひとつあれば、たちどころイメージがわき起こり、驚くほどすんなりと正確に伝わるものです。『街場の戦争論』で内田先生も、道場での教えはこういった効果的なひと言をいかに探り当てるかに尽きる、といったことをおっしゃっています。ここで具体例は挙げませんが、膝を打って感心するようなうまいたとえや言い回しが本書には多くちりばめられています。案外、読みようによってはそんなところにこの一冊の肝があるのかも知れません。

本書を含む「身体知」についての特集を、店頭平台にて展開中です。

(保田)

『富士日記』(著者:武田百合子)の上巻を読み終えて。

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12/17(水)の20時から、当店イベントスペース・コテージにて【コテージの読書会 vol.1】(主宰:ミズモトアキラ氏)が開催される。課題図書は、武田百合子の『富士日記』。日記文学の最高傑作と名高い本書だが、読み手の私は日記文学に触れたこともない超初心者。早速読まねば、と半ば焦りつつ当店の本棚向かうと、なんとも分厚い上巻・中巻・下巻がずらっと並んでいた。手に取り、これを物理的にも、内容的にも読み切ることができるのか…不安に思いながらとりあえず家に持ち帰り、数日熟成させてからついに表紙をめくることとなった。

人の日記(日常)を読む、という行為はブログやSNSが発達した現代ではさほど珍しくない。しかし本書は、「これは山の日記です。」という一文から始まるように、最初は「非日常の日記」として記録されていることが興味深い。始めはまだ日記としての文体が固まっておらず、書かれている内容もまちまち、分量も短い。東京と山とを往復する中で少しずつ山小屋や周辺の人たちとの関係を作り上げていくのと同じように、月日を経て日記の形式もだんだん固まってくる。天気、朝昼晩の食べたもの、買い物したものとその値段は必須。時折家族の会話や村の人から伝え聞いたことが、文化人類学者ばりの精密さで記述されている。基本的には淡々とした口調で客観的に語られ、当初読書初心者の私としては何が面白いのかわからなくなっていた。知り合いのブログは面白く読めても、武田百合子や富士山と全く関係なく暮らしてきた自分は、どう読み解いてよいのかわからないのだ。それでも読書会に向けて、こころに引っかかる部分に一つ一つ付箋をつけて読み進めてみる。

だんだんわかってきたのだが、ブログのように人に読まれることを(基本的には)前提としていないからか、それとも単に著者の気質か(後者のような気がする)、どうも文章にムラがある。自分のことを「私」と言ったり、「百合子」と言ったり。飼い犬のことを「ポコ」と呼んだり、「犬」と書いたり。ほとんど淡々と事実が述べられているのに、ものすごく腹が立ったことや感激した出来事はとても感情的でドラマチックに描かれているので、不意に引き込まれてしまう。上巻の途中からだんだんと武田百合子のスタイルが構築されつつあるようだ。日常と非日常を行き来しながら、その鋭い観察力と洞察力で生を見つめた彼女の感性に気づけばすっかり魅了されてしまった。

しかしながら上巻を読み終えて、改めて『富士日記』のどこが面白いのかどうかを考えてみるとやっぱりわからない。また不思議なことに付箋をつけた部分を振り返ってみても、なぜ昔の自分がそこに印をつけたのかわからないところもある。『富士日記』はまるで「私」を映す鏡のようだ。面白いとか面白くないとかそんな陳腐な尺度を超え、生についてふと考えさせるような不思議な一冊であった。読書会では様々なバックグラウンドを持った人々が集まり、きっと印をつけたところには、その人ならではの物語がつまっているにちがいない。『富士日記』を通して、どのような個々の生を共有できるのだろうか。行ってみなければわからない、貴重な出会いと経験が今からとても楽しみである。

ちなみに読書会はまだまだ参加者受付中です。課題図書は全て読み終えている必要はございません。少しでも興味がある方は、この機会にぜひ。記念すべき第1回目のコテージの読書会、たくさんのご参加お待ちしております。

(冨永)

【関連ページ】
コテージの読書会 VOL.1|COTTAGE|体験を共有する、新しい「場」のカタチ(イベント詳細ページ)
武田百合子『富士日記』をじっくり読みながら美しい文章について語り合いたい。ミズモトアキラ氏HPより)

なんたってドーナツ

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なんたってドーナツ』(ちくま文庫)は、編集者/文筆家の早川茉莉さんがドーナツをテーマに、古今の短い読み物を選び出し、書き下ろしをまとめられたアンソロジー。書き物をお仕事とされる方のほか、編集者の三島邦弘さんや丹所千佳さん、イラストレーターの西淑さんの寄稿もあり、バラエティに富んで素敵な挿絵も盛りだくさんの一冊です。

チョコやクリームがたっぷりデコレーションされたゴージャスなものから、素揚げのざっくりしたオールド・ファッションまで、色とりどり、たくさんの種類があるドーナツ。美しいパッケージの紙箱へきちんと並べられたそれらのように、どこから読んでもおいしく楽しく、目移りしながらもうひとつ、夢中になってつまみ上げる指が止まりません。

スイーツというよりおやつ。ハイカラだけど懐かしくもある。主役を張る華やかさには届かないけれど、コーヒーや読書のおともにうってつけ。そんなドーナツにまつわる思い出や、ひとくちかじる至福の時間、それぞれのご家庭のレシピなど、どの執筆者も腕によりをかけた甘く香ばしい一編を味わわせてくれます。

あとがきにある通り、この円環型の不思議な揚げ菓子には、人と人とを引き合わせたり、ぐるぐる思い出を呼び起こしたりと、一種特別な力が備わるようです。手に取って穴を覗き込めば、たちまちのうちに記憶の幸福なシーンがあふれ出し、ほっこり和んだひとときをもたらしてくれます。

ところで、私のドーナツの思い出をひとつ。中学生のころ職業実習といって、一週間ばかり校区内の商店で働かせてもらう体験学習がありました。私が行ったのはドーナツ店、ではなく自転車屋。一番人気の映画館を希望したのですが、いかんせんクジ運に恵まれず、国道沿いのガレージで荒々しい力仕事に甘んじることに。

何かにつけ従業員から因縁をつけられつつ、黙々と自転車を運んだりバラしたり組み立てたり、思いもよらぬハードな働きぶり。くたくたにへたばって一日の終わり、ドーナツ店を選んだ友人が「揚げたて食べ放題!自分で作ったやつ!」と、はしゃいで吹聴するのを聞くにつけ、両手をまっ黒にし食べられない輪っかと格闘する自分の悪運を呪うのでした。

実習期間の終わり、どっさりお土産を持ち帰った友人より、蜜のかかったドーナツのお裾分けに預かりました。そのほくほくした生地の甘いこと! お返しに、パンク修理なら任せてくれと、いささか充実すぎる体験学習で技術が身についた私は悔し紛れに言ったのを憶えています。

と、このように、自分でも忘れていたような記憶を思いださせてくれる本書。皆さんのドーナツの思い出はどんなものでしょう。現在当店では、田村セツコさんイラストの特典ポストカードつきで販売中。パネル展示もございますので、街でドーナツを買った帰りにでもぜひお立ち寄りください。

(保田)