ゴジラの記憶

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ゴジラを通過せずに子ども時代を過すのは難しい。先月、ゴジラ生誕60周年を記念して、全国の東宝系で初代『ゴジラ』(1954)の上映が行われた。荒ぶるゴジラの姿を大きなスクリーンでぜひとも目撃したいと思い、私もでかけた。

特撮ファンで観客席は埋まっているのだろうかと思ったが、案外客層はばらばらで、親や祖父に連れられた子どもがけっこういた。こうして彼らはゴジラの記憶をまた受け継いでいくわけなのだが、今の子どもたちはゴジラをみて、何を思うのだろうか。

私がまだ小さい子どもの頃は、いわゆる平成ゴジラシリーズ真っ盛りの時期で、『ゴジラビオランテ』『ゴジラ対メカゴジラ』などに熱狂していたことをいまでも覚えている。かなり怖がりな性分で、同じ怪獣(?)を扱ったものでも、『ジュラシックパーク』などはあまりにもこわくて、途中で映画館を出たりしたのだが、不思議とゴジラはこわくなかった。その正体はまったく不明であったにも関わらず。(劇中で説明はされているが、小さな私には理解できなかった、あるいは理解するつもりがなかったのである。)『ジュラシックパーク』はこわくて、なぜ『ゴジラ』はこわくなかったのだろうか。ゴジラは我々の味方であったからであろうか。いや、私はゴジラを応援してなかったはずだ。ただただ、そのかっこいい姿を目撃していた。

ゴジラとは一体何なのだろうか。そんなことを考えながら、当店の棚を眺める。ゴジラに関する本はいくつか扱っているが、その中でも斜め上をいく本が『戦前日本SF映画創世記;ゴジラは何でできているか』(高槻 真樹)である。

著者は、日本映画史に燦然と輝く『ゴジラ』は、戦後に突然現れた怪獣ではなく、戦前からの日本映画の様々な試みの中から生まれたものである、と言う。本書はその源流を探る、謂わばゴジラ前史についての本である。川端康成脚本、衣笠貞之助監督の日本初の前衛映画『狂った一頁』についての詳細な分析から始まり、(円谷英二も関わっていた!)近年、映画研究の分野で注目されている戦前の自主製作、個人映画の解説。あるいは戦前の映画プロダクション、大都映画などで製作されたSF的作品などから、ゴジラが生まれるまでの足跡を発見していく。

フィルムの散逸で、ほとんどの戦前の映画は残されておらず、その徹底したリサーチぶりに驚く。プログラムだけしか残っていないものが多いのだが、そのタイトルが傑作で、『江戸に現れたキングコング』や『肉弾鉄仮面』『怪電波殺人光線』など、どんな映画だったのだろうと、豊富なスチールと共に想像してみるだけでも楽しい。終章でようやくゴジラが出てくるのであるが、なんだか感動的ですらある。人に歴史あり、というが、ゴジラにも歴史あり、である。

いま、海の向こうのハリウッドで作られた『ゴジラ』が日本で公開中である。ゴジラは衰えることなく、ますますその荒ぶる魂を、人々の目に焼き付けている。

(松浦)