オリーブのお勉強

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来週18日(木)、当店コテージにて開催いたします、山崎まどかさん×多屋澄礼さんのトークイベントの予習にと、山崎さんの著書『オリーブ少女ライフ』(河出書房新社)を読みました。平成生まれの私にとって、雑誌「オリーブ」とその年代のおしゃれをとりまく文化は、いまひとつピンとこないのが正直なところ。

周囲の同世代を見回してみて、現役の「ポパイ」や「ブルータス」、「クウネル」や「装苑」を手に取るのも、表紙のグラビアや特集内容によりけりといったありさま。漫画誌を別にして、習慣として雑誌にあまり触れることのない今のティーンズ及び20代はじめの若者たちにとって、休刊して長いファッション誌は縁遠い存在なのです。

だからなのか、私が古書店でくたびれたオリーブを開くとき、きまってまず抱く印象が戸惑いです。おしゃれに敏感な人ならばスナップを眺めて感じるところもあるのでしょうが、記事内容にまで踏み込んでいくとちんぷんかんぷん。慣れない言い回しや知らない単語の多さに尻込みしてしまいます。

連想されるのが、田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』。時代も合致しているせいでしょうが、「DCブランド」「リセエンヌ」など、あとでネットで調べようと名詞をリストアップしていく作業が、どうも巻末のあの膨大な注釈を思いださせるのです。新作の『33年後の~』はさておき、高校生のとき読んだ「もとクリ」も、当時とても理解の及ばない作品でした。

田中康夫に限らず、文学作品の注釈には限界があります。読み手にとっての限界という意味で、辞書的な語釈をいくら取り入れたところで、有機的なつながりのないところに立体的な文脈は立ち上がりません。深い理解へ達するためには、その分野について精確な脳内地図をもつ人の解説を受けるか、かのときかの場にいた人の話を聞くのが一番です。

オリーブとともに青春を送り、その全盛期に愛読者であっただけでなく、紙面作りにも参加したという山崎さん。かつての連載記事「東京プリンセス」と、当時をふりかえった書き下ろし小説の二本立てからなる本書を通読すれば、雑誌を取り巻いていた雰囲気が霧の晴れるように覗けます。まして、同時代にこれだけ深くコミットした人の証言を直接聞けるというのは格別の体験。

かつての愛読者はもちろん、彼女らの娘世代にあたる若者たちもふるってご来場を。親子で揃って参加、なんていう趣向も楽しいのではないでしょうか。イベント当日に向けて私はいま、本書とほぼ同時期に発売された講談社現代新書『オリーブの罠』(酒井順子著)をコツコツ読み進めています。

(保田)