存在しない場所を訪れる

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少しでも時間があると、どこかへ出かけたくなる。先日の台風や大雨で京都は荒れに荒れていたが、ここ数日は打って変わって快晴、というか蒸し焼けるような暑さに参っている。こうも暑いと、京都市という内陸の土地に住む私としては海が恋しくなる。

そんな時手にとった本が『かじこ―旅する場所の108日間の記録』(かじこ:自費出版)。表紙一面を飾る海を眺めてみる。どこかの島から橋が架かり、裏表紙を見るとその橋はおそらく本州とつながる。何か対象に焦点が当たっているわけでなく、ぼんやりとした目線が船に乗りながら海を旅しているような気分にさせてくれる。(ちなみに特に記載はないが、土地から推測するにこの写真は海ではなく川である。かじこという名前が舵を連想させるためか、思い込みは恐ろしい。)

こちらは2010年の夏から秋にかけて108日間のあいだ、岡山市出石町の古民家に存在していた滞在型アートスペース「かじこ」の記録集である。2010年といえば瀬戸内国際芸術祭が行われていた時期であり、岡山をはじめとする瀬戸内海周辺の地域は盛り上がりを見せた。私はというと当時かじこの存在はおろか、瀬戸内芸術祭さえ知らずに過ごしていたので、もうすべてが終わってしまった後にこの本と出会いかじこを訪れたという、そんな状態である。

左開きに読むとかじこの基本情報や行った取り組みが収録された記録集(Records)。どうやらかじこはゲストハウスのような、イベントスペースのような、制作場所のような、よくあるコワーキングスペースやシェアキッチンみたいないくつもの役割を兼ねた場所のようである。そんな曖昧性を含んだ場所に対する管理人やスタッフのエッセイも面白いのだが、特に私の興味を惹いたのは右開きからは日記(Diaries)である。かじこを訪れた旅人たちに3年前の出来事を振り返ってもらい、当時の日記を1人1日の日記形式で寄稿してもらっているのだ。普通日記という性質からして一日の出来事をその日の終わりに書き記すわけだが、この日記は3年間の熟成期間があるため、なんとなくリアリティが薄いというか、物語を呼んでいる気分になる。3年の期間を経て沈殿したかじこのエッセンスが詰まっているのだ。私の知らない、無名の滞在者たちの中で熟成されたそれは、かじこが単なるなんでもスペースではなく、新しい何かを創りだす今も生きている場所だということを示しているようである。

この本は一般の書店では流通しておらず、私も岡山のとりいくぐるというゲストハウスを訪れたときに実物を拝見した。かじこの管理人は今は鳥取たみというゲストハウスを営んでいるらしい。かじこという場所はなくなってしまっても、かじこ的な何かとどこかでつながり、もしかしたら訪れているのかもしれない。

(冨永)