坊っちゃんの時代のビール

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作家・関川夏央と漫画家・谷口ジローのコンビによって、単行本としては1987年初版が刊行された『「坊っちゃん」の時代』。朝日新聞紙上で『こころ』掲載100年を記念した再連載が行われるなど、相変わらずの人気作家・夏目漱石を主人公とした漫画作品の新装版です。

といって、すでに文庫版・カラー愛蔵版と版を重ねる当シリーズ。ずっと売れ続けているということで、なかには版型が変わるごと買い直している熱心なファンもいることでしょう。こうまで愛されロングセラーとなっている理由の一つには、時代を彷彿とさせるディテールの並みでない描き込まれ方にあるように思います。

私たちにとって、ほとんど架空の世界といえる明治後期の東京。そうした風景のリアリティの強度を高めるには、画面の端々に登場する小道具の扱われ方が重要になります。

この作品でひとつ象徴的なのは、漱石や同時代人たちが頻繁に口にするビール。作中では、当時流行のビヤホールについて「日本ビール 札幌ビール 大阪ビールの三社が直営店を経営し 互いにしのぎを削った」とあり、じっさい登場人物たちはここを社交場として談話に花を咲かせ、盛んにジョッキやグラスを酌み交わします。

また、神経を病み酒乱の気があったとされるこの時期の漱石は、ことあるごとに杯を傾け、鬱気払いに利用しようとします。下戸にもかかわらず、たいがいは深酒し大暴れの末「ビールは鬼門」とつぶやくのも、あながちフィクションではないのかも知れません。

本書の後半では、上記三社が合併して大日本ビール(三井系)となり、三菱傘下のキリンビールがひとり対抗する趣旨の新聞記事が登場。財閥の競合が経済を動かす往時の状況をそれとなく示して、単なる小道具以上の役割を見せています。

ちなみに、漱石ヱビスビールを好んでよく飲んだそうです。いよいよ夏本番のこの季節、キンと冷やしたそれを一杯やりながら、大時代の文学界に遊んでみるのはいかがでしょう。

 

(保田)